巷では新型コロナウイルスが騒がれていて、心配なのでマスクを数枚持って朝4時自宅出発。
近くの店でマスク一箱買う事が出来たので。
高速料金往復5,240円節約のため下の道路で行くことにしました。関東百名山になると山まで行くのが遠いですね、
4時間はかかる、高速使えば1時間半で到着できるが、お金をを使うか時間を使うか・・・年金が少ないので
ここまでの走行距離は190km ガソリン代1,325円(軽自動車)
て ん ら ん ざ ん と う の す や ま
●9:55 道路に出る
●10:04 駐車場に戻り終了。
次の山、日和田山へ向かう
●7:55
埼玉県飯能市市民会館駐車場に到着
駐車場はガラガラ
トイレも有りますね
心配した雨も途中は降りましたが今はやみました。
▼場所はここ
●8:22
奥武蔵自然道
だれもが、自分の足でゆっくりとあるきながら、四季を通して美しい自然をしみじみ味わうことができるようにと、つくられたのが奥武蔵自然歩道です。
飯能市天覧山を入口として、日高市の高麗(こま)峠、巾着田、日和田山、高指山から毛呂山町の物見山を越え鎌北湖までの約11Kmの歩道です。
新緑のスギ、ヒノキ林、武蔵野の詩情を残す雑木林と高麗川の清流、山間に広がる田園風景と史跡、平野を一望する広大な展望など、変化にとんだコースで、
誰にも気軽に美しい自然が探勝できます。
巾着田、高指山、物見山には休憩所があり、またコースに沿って解説版が設けられています。
解説板では、奥武蔵自然歩道のマスコット「カワセミのキンチャク君」が、自然のしくみを中心にいろいろな話をしてくれます。
●8:55
見返り坂
●8:34
岩場
●8:22
天覧山上り口
●9:03
●8:43
展望は良いですね
天気はいまいちでしたが
●8:42
天覧山山頂に到着
朝早いせいか、若い男と人1人だけ
持った来た三脚で記念撮影
▼場所はここ
●8:36
登って行くと建物が見えてきた
●8:32
十六羅漢像・岩場を通って天覧山山頂へ
●8:31
トイレ
●8:24
車止めの柵(車で来ても駐車場はありません)
▼場所はここ
271m
●8:31
さらに整備された道を進みます。
●8:08
前方に見える山が目指す天覧山ですね、手前の寺が能仁寺
197m
●9:21
多峯主山271m山頂に到着
▼場所はここ
●8:28
広間に出る(トイレ有り)
山頂からの展望
あいにくの曇り空でよく見えませんが
下山はショートカットで道路へ下る事にする。
●8:52
ランナーが追い越して行きました。
マムシ注意の看板が有りました。
●8:47
多峯主山(とうのすやま)271mへ向かいます。
●8:46
富士山が見えました。
●8:30
展望も有ります
●8:29
休憩所
ハイキングコース案内板がありました。
雨具を持って来るのを忘れたので一旦車へ戻るが結局雨は降る事はなかった。
●9:29
山頂近くにトイレが有ってたすかった。
●9:11
坂を上ると
●9:09
休憩所
▼場所はここ
●8:52
多峯主山へ
●8:48
多峯主山・見帰り坂
●8:47
階段を下って行きます。
●8:37
天覧山
天覧山は、海抜195mで飯能の市街地の北西部に位置し、裾のは曹洞宗の寺である武陽山能仁寺がある。この山は、享保十二(1727)年の能仁寺境内図に「あたご山」と記されているが、これは山頂に愛宕社があったことによる。その後、中段に十六羅漢の石像が造立、奉納されたことにより、「羅漢山」と称されるようになった。
そして、明治16年(1912)年4月、当地で近衛兵第一・第二連隊・砲兵隊などの諸.隊による春季小演習が行われた。その折明治天皇がこの山に登り、その様子を総監したことから、「天覧山」と呼ばれるようになった。明治45(1912)年、武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)の開設が具体化されると、飯能町ではその鉄道を利用した観光資源の開発に着手し、天覧山は飯能遊覧地の区域の一部となり、本市を代表する観光地として知られるようになった。
●8:33
岩場を進みます。
●8:33
十六羅漢像
●8:24
道標
●8:24
天覧山登り口
舗装道路は続きます
天覧山の由来
この山は天覧山と呼ぶ。明治16年4月、この地に近衛諸兵対抗演習が行われるに当たって、明治天皇は?従を率いてこの山にお登りににり親しく戦況をご覧になったのであるが、その折山頂のお野文所にお着きになるや開口一番「ああよい景気」と仰せられた。
天覧山の名はこのとき始まる。
●8:21
天覧山入口を入って行きます。
駐車場8時からですが、8時前ですが開いていました。
低山なので登山靴はかないでスニカーのまま登っちゃいます。